昭和眞人の辻説法!!

新聞etc.を読んで思うことをあなたに伝えたい!

日本人の気質は何と表現するのが適切だろうか?

 

新型コロナウィルス(中華人民共和国武漢市の最近研究所で人為的に作り出された可能性が濃厚であるので「武漢コロナ」)に対する中華人民共和国はもとより世界各国及び日本政府や日本国民の行動を見て(新聞報道が端緒)、様々なことを考える。

人為的な研究ミスから菌が外へ出たにもかかわらず、「自分も被害者」顔して、ほっかぶりし、落ち着いてきた機に、マスク外交し、恩義の押し売りを決め込む中華人民共和国(中華国)

完璧と言える感染防止策で世界の手本となる台湾。しかし、中華国の横やりの中でも、忍耐強く大人の対応をしている。

国民が免疫を持てば「普通のインフルエンザになる」との信念?で、各国が講じている感染防止策をとらず、大規模な感染死者の発生をも容認している国。

本当に、十人十色ではないが、各国ごとに、その国の特色のある対応策を講じている。

我が国、日本は、他国から驚異の目で見られている「自粛要請」「緊急事態宣言」で、継続して感染者は発生しているものの、どうにか第一波を乗り切ったように見える状態にある。

安倍首相のスピーチ、政府の対策などに文句を言う人は数え切れないほどいる。まるで「後出しじゃんけん」のよう。

2~3日前から、「新しい生活様式」について、「個人生活への権力の介入」などと主張し、国家権力に対する危機感を、ことさら扇動しているかのような文書の目にする。

私は国粋主義者的に、日本大好き人間である。他国人に対する優越意識や差別意識が、心の底に潜んでいる。

でも、考える。

「日本人の気質って何だろう」と。

日本人は、大正デモクラシー時代がもっと長ければ、日本人の中に民主主義が根付いたかもしれない。不幸にも、大正天皇が早世したことと、植民地主義の列強国の横暴による第二次世界大戦へと進んだことにより、日本国民は、国家統制下での生活を余儀なくされ、それと共に、気質も明治維新前の封建社会気質に戻ってしまった。

その気質は、今も続いている。つまり、「お上と平民」の関係。「泣く子と地頭には勝てぬ」式の「支配者と被支配者」「する者とされる者」の関係からくる「お上(政府・行政)のすることは正しい(正義)」との図式に到達する。

特に、第二次世界大戦中は、「政府を支配した軍部は国民に考えることを許さなかった」「考えるのは軍部で、国民は軍の指示に従う者」を強要した。

この思考パターンは今も続いており、国民は、最終的には「お上任せ」で落ち着く。そこには、民主主義の基本である「権利と責任・義務」の関係が欠落しているからだ。

日本国民は自力で自由や権利を勝ち取った経験がない。権利を主張しても、その両輪にある責任・義務をないがしろにしている。むしろ、「責任を負いたくない」と考える向きが強いように思う。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」との如く、日本国民は忘れっぽいし、できるだけ責任を回避するように「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことを謳歌している、とは言い過ぎであろうか。

この「喉元過ぎれば熱さを忘れる」気質は悪いことではない。

未来指向型。明るい。過去にとらわれない。独自性的etc. その反面、負の記憶が薄い。責任感がない。加害行為を忘れて被害者への配慮がない。同じ失敗を繰り返す。未来への備えが甘く、危機の再来に弱いetc.

最近の政府は「そろばん勘定」で判断・行動している傾向がなくはないか?「国家百年の大計」の兆しは皆無に思える。未来に備えること、準備することや利益を生まない性質の産業である医療・病院・郵便・福利厚生に注力することを避けている。ボーイスカウト用語での「備えあれば憂い無し」の実行を避けている傾向にある。

目先のそろばん勘定で、日本のつい先の未来すらカバーできない愚策に嬉々として胸を張っている。

(続)